そして、水野さんが惹かれてきた「古いもの」の一つ、クラシック音楽に、若い世代にも関心をもってもらうため、DJやアレンジ楽曲、執筆などを通じて発信をされていますが、その発信の仕方も、「歴史に名を残している作曲家たちは、当時、最先端の音楽を追求する革命児だった」「ベートーヴェンはロックなところがあるから、今生きていたら、新しい楽器や技術をきっと使ったのではないかと思う」など、過去と現在を縦横に移動したような視点のものが多く見られます。
「クラシックの作曲家のことを、文献などを通じて勉強していくと、人となりが見えてきて、この人はこういう性格だから、こういう音を出すんだなっていうのが分かってきます。そうすると、その人と話をしているみたいに感じるんですよね(笑)」
さらに、水野さんはその人物がリスペクトしていた人のことや、影響を受けていた人にもすごく関心があると言います。そういう影響も音楽の中に現れてくるためです。「自分らしさ」とは「現在」の「その人」単体から生まれるわけではなくて、過去からの時間の流れと、他の人たちの影響も受けながら、育まれてくるものなのかもしれない、と水野さんの話を聞いていると感じます。
「資本主義が発達しすぎた結果、文脈を持たない、ファストなものが増え過ぎていっている感じがします。でも本当は、もの一つ一つに、絶対にその歴史やルーツがあります。自分の前にどういう文脈があるか見つめることは、未来の取捨選択にとっても、大事になってくるんじゃないかと感じます」と水野さん。
一方で、音楽の世界で“食べていく”ためには、「自分の好き」や「自分が思う自分らしさ」だけをつきつけるだけでも成り立たず、時代の「ニーズ」や「流行り」も意識する必要があると思います。そのバランスについて、水野さんの考えを聞いてみると、「タンタルとゴールドみたいに、相反はすごくあります」との答えが返ってきました。
「現代の音楽はビートがかっちりしていて、基本的には均一のテンポで進みます。一方、クラシック音楽は、ビートが揺らぎます。揺らぎによって生まれるグルーブ感や緩急のバランスがいろんな景色を見せてくれるんです。だからクラシック音楽と現代的な要素とは、本来“混ぜるな危険”ですし、それを繋ぐ道を探すプロセスは正直ものすごく疲れます。それでも、なんとか共存できる相性を見つけて、自分が理想とするアップデートされた作品にたどりつけたときは、大きな喜びがあります」
だからこそ水野さんは、クラシック音楽だけでなく、「今」の音楽の傾向にもアンテナを貼って聞くことを大切にしていると言います。そういう意味では、「自分らしさ」は、届けたい相手との対話のなかでも、磨かれていくものなのかもしれません。
ここで一つ気になるのは、水野さんが幼少時代は、周囲に合わせるのが苦手だったというお話。そのキャラクターのままであれば「自分の好きなものを誰かと分かち合いたい」とも思わないように感じます。どんな段階から水野さんは「みんな」に向けて自分を開き、想いを届けようとしはじめたのでしょうか。
尋ねてみると「馴染めていなかっただけで、馴染みたい気持ちはずっとあったんです」との答えが。そして、「輪の中に入って過ごすことができなかった分、自分の世界を見せて、そこに共感してくれる人に集まってきてもらおうとしたんだと思います」とのこと。
オーストリア留学中にご自身の誕生日パーティーを開いて、友人も初対面の人も歓迎したというエピソードも聞かせてもらいましたが、「自分で輪をつくる/場所をつくる」ことは、無意識的にずっとやり続けてきた気がすると、水野さんは話します。
また、留学経験を経て、水野さんが馴染めなかった日本の教育とは異なる教育のあり方にも出逢うことができたと言います。入学式も卒業式もなく、学年も曖昧、院生や学部生も入り乱れていて、国籍や年齢も様々。記号やラベルのようなものでの分類がまったくなく、「ああしなさい」「こうしなさい」と言われるようなこともなかったそう。
「何も言われないからこそ逆に、『今なぜこれを学んでいて、将来どう活かしたいのか』ということを常日頃から自分で意識するんですよね。自分以外誰も、未来の自分を保証してくれませんから。また、日本のように全体主義的なあり方は、アイデンティティがあまり育まれないような気がします。ひとりになった方がむしろ、他者を意識するようになるし、他者を意識することで自分ともっと向き合おうとするんじゃないかと思います」
水野さんから様々な「自分らしさ」の捉え方や磨き方のヒントをもらいましたが、果てさて、水野さんの「自分らしさ」や「人生」が立ち現れるようなオリジナルリングはできたのでしょうか?
スチール撮影:伊藤圭