社長&水野さん

ビビリで周囲に馴染めなかった青年時代 拠り所となった音楽

水野さん

水野さんが活動されている「クラシック音楽」や「指揮者」の世界は、白いブラウスに黒いスーツの正装で、あまり“遊び”がない格好をしている人が思い浮かびやすいのではないかと思います。そうした世界の中で水野さんは、金髪にカジュアルなTシャツとおしゃれなスニーカーなど、装いや外見の面からも、新たな風を吹き込んでいます。

 

そんな水野さんに、まずは外見の面からの「自己表現」について考えをお聞きしました。

 

「ユニセックスであることは、自分ですごくしっくり来ています。昔から性別に捉われたくないっていう想いがあって。思春期に髭とかが生えてきた時も、違和感や嫌悪感のようなものを感じました。歴代の音楽家や世界のミュージシャン、アーティストたちを見ても、性別にカテゴライズされない人は多いですし、そこから出てくる魅力や美しさもあるのではと思います。どこかにカテゴライズされた時点で、表現の幅が狭まってしまう気もしています。ただ自分でありたいんです」

 

「クラシック」の既存の枠に捉われない水野さんは、人生全体においても「枠」や「ラベル」を取り払って、まっさらな自分で自由に表現したいという想いが強くあるようです。

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ではジュエリーやアクセサリーに対してはどんな想いを持っているか伺うと、「正直あまりつけないんです。これだって思えるものにこれまで出会えなかったのもあるかもしれないですが、服や髪のほうが派手なので、アクセサリーまでつけると過剰になってしまう気がして」とのこと。

 

それでも、今回のLINK OF LIFEプロジェクトには強く関心を持ってもらえたと言います。

 

「せっかくなら自分を表現するようなアクセサリーが欲しいと思っていましたし、オーダーメイドで物を作ることに対する憧れもずっとありました。だから今回は本当にありがたい機会だなと思っています。僕の話を聞いた上で、丸山社長が僕を表現する指輪を作ってくれるので、既製品を買うのとはまったく別物ですよね。自分の一部になってくれるような気がします」と、今回の指輪づくりがとても楽しみな様子。

水野さん

さて、いよいよ丸山代表のカウンセリングがスタート!人生を体現するリングづくりの第一歩として、丸山代表は水野さんのこれまでのライフヒストリーについて尋ねていきました。特に幼少期の話からは、意外な一面も。

 

「小さい頃はものすごくビビリな性格でした。物音にも過敏で、テレビも怖くて観られなかったです。振り返ってみると、発達障害気味だったのかもしれないですね。とにかく集団行動が苦手。先生に言われた通りにできなくて、自分だけまったく違う行動をとったりしていましたし、過集中なところもありました。変な子どもだっただろうと思います。そうしたこともあって、小学1~2年生の時に1年ほど不登校にもなりました」

 

周囲に合わせられず、学校社会に馴染めないつらさは中学時代も続いたと言います。しかし中学の頃から本格的に音楽に目覚めたことで「自分のアイデンティティの拠り所を得られたから、乗り越えることができた」と水野さんは振り返ります。
 

水野さん

中学生の頃から、クラシック音楽に加えて、洋楽や70〜80年代のロックやポップスなど、あらゆるジャンルの音楽を垣根なくどっぷり浸って聞いていたという水野さん。

 

高校からは音楽好きな友人とバンドを組み始めた一方で、指揮者の道を目指して講習を受けたり、オーケストラの中で演奏するなど本格的な勉強も始めました。その両者が水野さんにとっては同じ「音楽」なのに、それぞれのコミュニティで話せる音楽のジャンルはきれいに分かれていたと言います。その隔たりに違和感を感じたことが、若い世代にもクラシック音楽へ関心を持ってもらうための活動をするに至った原点になっています。

 

物心ついた頃から、音楽を生きる礎にしてきて、その音楽を垣根なく多様な人に繋ぐことを、ぶれることなく追求してきた水野さん。その「人生」はどんな指輪に紡がれていくのでしょうか。
 

スチール撮影:伊藤圭

Interview & Writing

アーヤ 藍 ai ayah

 

PROFILE

2014年から約3年間、ユナイテッドピープル(株)で、様々な社会問題をテーマにした映画の配給・宣伝を行い、SORAとも、アメリカの同性婚裁判を追ったドキュメンタリー映画『ジェンダー・マリアージュ』を配給していたときに出会った。2018年春からはフリーになり、映画イベントの企画運営や、環境問題に関する学校向けの教材づくり、医療系記事のライティングなどを行っている。

 

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