日本での砂金採掘に必要な知識と準備

金はどこを掘ってもでてくるの?

砂金を採るには、どこでも地面を掘ればいいというわけではありません。ちょっと確率が高いのは川の近くで、それは山の地層の金鉱脈が川に洗い出されて、砂金が堆積するから。だから関東の多摩川、荒川でも砂金が採れたりすることはあるようです。


金鉱脈が存在すること自体がまれで、その成り立ちは、地下深くで金を含む熱水が長い年月をかけて結晶化したり、地殻のズレによる強大なエネルギーを受け結晶化するというもの。その結晶が地殻変動によって地表に現れて川に流れ出た結果、砂金として手に取ることができます。



金の誕生秘話はVol.1にあるように、宇宙誕生後5億年のファーストスターの超新星爆発まで遡ることができ、そこから133億年を経て、宇宙空間を浮遊し、そのチリが集まって地球を形成し、地殻変動を繰り返し、やっと我々の目の前に現れた結晶です。


ここまで振り返ると、どんなに小さな砂金もありがたみが格別です。

自分で砂金を採ってみたい!

SORAでもジュエリーの素材として扱う金。「自然の中から見つけよう!」ということで、いざ北海道浜頓別町のウソタンナイ砂金共和国へ。 


このウソタンナイ砂金共和国のある北見枝幸地方は、明治期に日本のゴールドラッシュと言われるほどの金の産出量と、採掘者が集結し、日本最大の768gの金塊がみつかった日本の金の歴史を語る上で重要な土地なのです。

日本のゴールドラッシュ

北見枝幸の砂金採掘の歴史は、今から120年以上前の1894年(明治27年)頃より公式な文書や、個人の手記にその状況を辿ることができます。 


参考になるのは1902年(明治35年)9月に出版された「枝幸砂金論」(著:西尾銈次郎)にて、1900年(明治33年)の北見枝幸地方(現在の浜頓別町、中頓別町、枝幸町)のペーチャン川、パンケナイ川、ウソタンナイ川における前半期のゴールドラッシュに湧く現地の砂金採取者数と、その出身地、複数の川ごとの産出量など実態調査が記されたものがあります。 

西尾銈次郎は山形県最上川流域で「流し堀」という伝統的方法により砂金採掘をしていた技術者で、当時の北見枝幸には本州青森県、秋田県、山形県出身の砂金採掘者が多く来ていたことも資料からわかります。 ところで、日本の鉱物資源に関する法律を紐解くと1890年(明治23年)の「鉱業条例」により制定がはじまるのですが、砂金、砂鉄は対象外でした。


やっと1893年(明治26年)に制定された「砂鉱採取法」により砂金が国家財産の鉱物になります。 つまり、この時点から砂金を採取するのに国の許可が必要になるということでした。


1899年(明治32年)の北見枝幸地方において砂金採掘の許可があった認定採掘場所はとても少なく、あったとしても川の本流だけといった大雑把なものだったようで、山中の支流でももちろん砂金が採れるので、そういった支流に砂金採掘にきていたほとんどの人は許可地以外での密採者となり、警察による取締りの対象となっていました。

このころから、この地域の川を掘れば金がとれるというゴールドラッシュニュースが全国に広まり始め、砂金採掘者が増えだしました。 

1898年(明治31年)頃までは、不漁にあえぐ地元近隣の漁民たちが採掘者のほとんどだったようですが、ゴールドラッシュのニュースが全国的に広まり、本州や九州からどんどん砂金採取者は増え続けます。

 

なんと1899年(明治32年)の雪解け以降、一斉に人が押し寄せたといい、札幌鉱山監督署の発表によれば4月に山中にいた砂金採掘者が25人で、9月には53,001人も増えたという記録が残っています。 


翌年1900年(明治33年)には、人が溢れる支流などの不許可地も急速に許可地にして国の管理下となります。 この背景には、山中に数千人が寝泊まりをする「町」が突如として現れたことで、無法地帯と化し犯罪も激増したそうなのです。 採掘許可地での登録状況をみると、一定の入区料を払った正式な砂金採掘者が1,760人登録されていた記録がありますが、取締りをまぬがれながら不正に採掘をする人も400人以上いたようです。 

 

山中での合計2,000人以上もの人の暮らしぶりとは、山中に枝を組んで葉っぱを屋根にしたひとり用の小屋をたてて、夏季だけでなく通年を通して砂金採掘を続ける過酷なものだったようです。

1人当たりどれほどの砂金が採れたのでしょうか?

当時の北海道毎日新聞によれば、平均すると1日で3分(1.14g)ほどの砂金が採れたようです。 これは、どのくらいの価値があったのでしょう?

 

砂金の価格は、1匁(もんめ※3.75g)が4円ということなので、1gは1.21円となります。 このエリアの当時の物価は、米1石(180L=150kg)が12円50銭とありますので、米10升(18L=15kg)で1.2円ほどとなります。


現在の米価格7,500円/15kgほどで換算すると、1gの砂金は7,500円ほどの価値ということになります。 つまり日給7,500円ほどとなりますね。


数百グラムの金塊が出る夢を見ながら、平均1g/日程度の金を採っていたんですね。

ウソタン地方の鉱区着業以来の総産出量は550貫(2,062kg)、2トンにもなりました。 1931年(昭和6年)頃に金価格の高騰や、幹線道路の開通があり再びゴールドラッシュに沸いたと言いますが、それ以降1952年に藤田鉱山が閉山するまで細々と採掘は続きますが、採掘者たちはより金の採掘ができる紋別の鴻之舞鉱山などに移動していきました。 


こうして、北見枝幸地方のゴールドラッシュは幕を閉じるのです。

やってみよう!

さて今回訪れたウソタンナイ砂金採掘公園は1985年(昭和60年)に、地元の青年が発起人となり100年前のゴールドラッシュの史実を伝える砂金採掘体験レジャー施設としてつくられました。公園の整備だけでなく「世界砂金採り大会」を開催しています。

ここからは、砂金採掘体験をじっさいにやってみた結果の体験レポートです。皆さんもやってみたくなるかもしれませんので、必要な道具や装備についてもお知らせしておきましょう。 


ウソタンナイ砂金共和国では、1回500円の体験料でユリ板、カッチャ、長靴、赤布を借りることができます。

お道具紹介

ユリ板とは、砂金をより分ける窪んだまな板のような板で、カッチャは砂の深いところまですくえる専用のスコップ。 特長(とくなが)は膝上までカバーする防水長靴です。赤布は採れた砂金を包んでおくもの。


一般的に「パンニング」という丸い皿を揺らす姿をイメージしますが、これは海外の手法でウソタンナイ砂金共和国では、明治のゴールドラッシュをならってユリ板スタイルを体験できるのも砂金共和国ならでは。

さて以下は、各自で持っていくと良いプラスアルファの便利グッズの紹介です。 ウェーダースーツ(釣り用ズボン)という防水ズボンがあれば、集中していてお尻が川についちゃっても濡れません。

 

園芸や水仕事用のひじまでの手袋があれば手が濡れて、ふやけることはありません。しかし、砂金がみつかると指をなめてくっつけて回収するという技もあるのですぐぬげるぐらいのがおすすめ。 

 

写真は、お借りした赤布。この上に砂金を置くと目立ちます。

砂金をつまむためのピンセットがあれば、手袋のままでも砂金を回収できます。

 
折りたたみ椅子を持っていき、川の中で座りながら採ると楽ちん。伝統的スタイルからいくと邪道でしょうが、中腰の作業はかなり辛いので座れる岩を探したりするのも良いでしょう。

 

やはりユリ板は難しい!という方には真っ黒なパンニング皿がおすすめ。ぐるぐると回し上澄みを捨てていけばキラッと砂金の光沢が見つかります。

砂金を保管するのには布でなく透明な小瓶があると、採った量がすぐ分かるし、ポケットに入れられるので便利。

 

しっかり装備をそろえ、日本の金採掘の歴史をインプットしたら実際に砂金採りをはじめてみよう!

《ライター紹介》

SORA営業企画部マーケティングチームリーダー
坂本良太


宇宙撮影でもおなじみマーケの坂本。普段は企画業務をこなしつつイベント運営、機材の試作までなんでもやる課のアラフォーパパ。最近気になることは宇宙創生とベルトサンダー。

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