7000年前から現代まで、特別なものであり続ける。「金」の文化史とは

前回、そもそも金はどこからやってきたのかという話をしました。私たちが何気なく手にしている金が実ははるか宇宙の彼方の中性子星で作られ、地球まで運ばれてきたのです。 

では、その宇宙からやってきた金を地球上の人類が手にしたのはいつのことだったのでしょうか。そしてそこから金はどのようにして今のような価値を持つようになったのでしょうか。
今回はそんな金の「文化史」をたどってみます。

神や王と結びついた古代の金

現在、世界最古の金製品と言われているものは、ブルガリアのヴァルナ集団墓地遺跡で発見された紀元前5000年紀のもので、遺体などを飾る装飾品として金細工が多数出土しました。
7000年以上前、おそらく金を利用し始めた最初期から人間は金を装飾品として使っていたのです。

 

金は、文字通り黄金色に輝くこと、そして錆びたり変色・変質したりしにくいことによって装飾品として、そして副葬品として珍重されるようになったことは想像に難くありません。 ただ、もう一つ金が装飾品に用いられるようになった大きな理由があると考えられます。
それは、金がやわらかすぎて刃物などの道具に使うには不向きだったことです。そして、柔らかいがために様々な形に加工しやすく装飾品を作るのに向いていたのです。 これらの特徴と、その貴重さによって金は他の金属とは明らかに異なる扱いを受けるようになっていきます。その輝きと、不変さ・不滅さ、身を飾るのに適した性質によって、象徴的な意味を付されるようになっていくのです。 

それが最初に顕著に現れたのはエジプトでした。古代エジプトでは金は太陽と結びついた神聖かつ不滅の金属とされ、神々の肌は黄金色だと考えられていました。そして、金は神から王にもたらされたもので王族以外が手にすることは禁じられたのです。 そのため、エジプトの金製品の多くは、ツタンカーメンの黄金のマスクのように王族の墓から副葬品として見つかっています。

この権力者の墓から金が見つかるという例は、様々な場所で見られます。
たとえばギリシャでは、紀元前16世紀のものとされる「アガメムノンのマスク」が、現在のカザフスタンに当たるスキタイでは、紀元前5世紀のものとされる、ほぼ全身を金の装束で覆って埋葬された「黄金人間」が見つかっています。 黄金人間といえば、思い起こされるのは「エル・ドラド」伝説です。

「エル・ドラド」は黄金郷と訳される事が多いですが、もともとは「黄金の人」の意味で、16世紀頃までアンデス地方に存在した、首長が全身を金粉で覆い湖に飛び込むという儀式の話に尾ひれが付き黄金郷が存在すると言われるようになったそうです。 伝説は伝説ですが、アンデス地方では紀元前1500年ころから金細工技術が発達していたといいます。
そしてその文化は脈々と受け継がれ、16世紀に到達したスペイン人はその技術に目を見張ったといいます。しかも紀元前5世紀頃には金とプラチナから合金を作る技術を持ち、二色の金を使った見事な金細工を作っていたのです。

 

古代のアメリカ大陸では、金は権威の象徴であると同時に宗教儀式の道具として用いられていたと考えられています。エジプトと同様に金は神とその代理人である王と強く結びついていたのです。 そして、この「神」と「王」との結びつきが金の文化史を語る上では欠かせないものなのです。

聖と俗に引き裂かれる金の価値

金が広く普及したのは、装飾品としてよりも貨幣としてでした。紀元前3000年紀にエジプトやシュメールで印章として用いる金の指輪が使われていたなどの例外はあるものの、基本的に一般の人々が手にすることはなかったのです。 
貨幣としては、紀元前670年に小アジア(現在のトルコ)にあったリュディア王国のギゲス王が金貨を初めて作らせたと言われています。ただ、貨幣として流通させるために作られたものではありませんでした。

 

金は当時すでに交易の際の指標として用いられていて、貿易を行う際は純度と重さを量る必要がありました。
金貨にすることでそれをいちいち量る必要がなくなるという利便性が重視されたのです。 これはこの当時から金は物の価値を図る指標であったということを意味します。

そして、そのことから金は何とでも交換できる価値の高いものとなり、人々の欲望の対象になっていきました。古代においては王と結びつき、権力の象徴であった金は、徐々に経済的価値や経済力を表すものになっていったのです。
一方、装飾品の材料として珍重された金はキリスト教や仏教に置いては聖遺物入れや聖像の装飾に用いられるようになります。 

世界最古の金の聖遺物入れと言われるのが、1世紀のアフガニスタンで作られた「ビーマラーンの舎利容器」で、仏教においてはこのような小さな舎利容器の他にも、金箔で彩られてストゥーパや黄金の仏像など様々なものが金を用いて作られました。 
キリスト教でも聖人をかたどった「聖エウスタキウスの頭の聖遺物入れ」(1210年頃)や「聖フォアの聖遺物入れ」(9世紀頃)、建物の形をした巨大な「東方三博士の聖遺物箱」(12世紀)などがあります。

 

聖遺物入れに金が用いられた理由は、物理的な遺物が見栄えがしなかったり、恐怖すら抱かせるのを、輝く金で覆うことで輝くものと捉えさせる仕掛けだと考えられます。 人々は古から金にどこかで神々しさを感じていたのでしょう。それが宗教においても金が珍重された理由だろうと思います。 ただ、俗世の欲望から離れることを目指した宗教が、世俗に置いて価値が高い金を聖なるものに使うことには、どこか違和感を感じてしまうことも確かです。 古代、神と王が一体だった時代にそれらと結びついていた金は、時代が下って聖と俗が分かれるに従い、相矛盾する2つの性格を持つようになっていったのです。

変わるものと変わらないもの

現代では、金は俗っぽいイメージが付きまといます。
「成金」という言葉がネガティブなイメージで使われるように、金ピカのものにはどこか下品な印象があるのです。そうなった、聖と俗が分離し、人の生活が信仰から遠くなっていったのとも関係がある気がします。 それでも、いまだに金が神の世界とつながっているものもあります。
たとえば結婚指輪。結婚や婚約の際に指輪を交換する文化が生まれたのは古代ローマ時代とも言われますが、中世ヨーロッパではすでに定着していたようで、交換する指輪は金が主流だったとか。 金の指輪は、エジプトやシュメールで印章として用いられていたように、契約に用いるものでもありました。結婚に神との契約という性格があることを考えると、結婚に際して金の指輪を贈り合うというのは、神との契約を形にしたものだったのではないでしょうか。 
今はそのようなことを意識する人はいないと思いますが、婚約指輪や結婚指輪に金を使う背景には神と金との結びつきがあるのです。 神とのつながりは弱くなってきた金ですが、20世紀になると装飾品や貨幣以外の様々な用途に使われるようになります。 

1947年、ベル研究所で開発されたトランジスタはプラスティックを金箔で覆った楔を利用して作られました。1950年代以降は、金線が電子回路の部品として用いられるようになり、それ以来、金は様々な先端機器で利用されるようになりました。
今ではパソコンやスマートフォンなど生活に欠かせない様々な機器に金が使われています。 古代においてはその性質から道具に不向きだったために神や権力と結びついた金が、今は私たちの生活の道具に欠かせないものとなったのです。

こう見ると、金の使われ方やイメージは時代とともに様々に変化しているように思えます。しかし私たちはどこかで変わらず金に「ありがたみ」を感じ続けていることも確かです。俗っぽいイメージがあると言いながら「でもやっぱり金だから」とどこかで思ってはいないでしょうか。 
金は本当に不思議な金属だとあらたて思います。本当に金には神から授けられた不思議な力が宿っているのかもしれませんね。

《ライター紹介》
石村研二

映画、環境、テクノロジーなどを中心に、greenz.jp、WIRED.jp、六本木経済新聞などに記事を執筆。宇宙と未来に興味が深く、暇な時はSFを読み、五次元空間に思いを馳せる。SORAの、結婚指輪とは無関係にも見える様々な実験や挑戦を見届ける予定。

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